20171126 河井継之助が壮絶すぎる!
https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51FfA2Dh0NL.jpg
その前は同じ司馬遼太郎作品、大村益次郎を主人公とした「花神」を読み、今、趣味の読書としては「司馬遼太郎」さんがわたしの旬です。推理小説、ミステリ好きだったのですが、「殺人」が中心となる物語を読みたくなくて。他の現代小説にも興味も無く、司馬遼太郎さんです。歴史でも、当然のように「血」は流れるのですけどね。「創作」の歴史小説であったとしても、実際にそういうことがあったと受け止めることができる感じがします。まぁ、自分勝手な都合です。屁理屈づけです。 今年は、本当に本を読んでいません。趣味の上でも、仕事の上でも。ちゃんと読みたいのですが、わたしは、一つのことを始めるのに、大変時間がかかります。読書をするでも、読書を始めるまでに時間がかかるのですね。ホント、面倒くさい人間ですわ。
河井継之助さんは、今年の夏、長岡を訪れて、記念館に行って初めて知りました(ごめんなさい。こんなんで社会科の教師だ!などとほざいております)。すぐにiPhoneのKindleに入れて隙間時間に読んできたのですが、長時間読み進めることができずに読み終えるのがこんな遅くなってしまいました。Kindleで小説を読むのには慣れてきましたね。 幕末の時代、西軍(東北の人間は決して官軍とは呼ばない)の人物ばかり注目を浴びますが、別な角度から見ることができる武士がいたのだと思うとなんだかうれしく思います。 小説の中をなぞっていくと、ラストサムライという感じがします。
司馬遼太郎さんの創作ということも含めて考えると、こうした西軍でもなく、東軍でもない、(スイスのような独立中立国をめざす)第三の道を模索していたとしたら、すごいなぁ。すごい創造力、創作力だなぁと思います。 この小説をもとに考えたとき、(新潟県)小千谷で河井継之助が西軍に文書を持って行ったとき、西軍が聞き耳を持っていたらもしかしたら今とは異なっていた展開になっていたということなのでしょう。それはそれで、歴史の「if」を考えると興味深いです。 もうひとつ、小説の間中、ずっと河井継之助さんは孤独な感じがします。ここで、もう少し、藩校や私塾ではありませんが、共同体の構築だったり、自分の理解者を増やすとかだったりができたら、周囲も変わっていったかもしれません。とはいいつつ、激動の世の中ですから、そうした周囲に働きかけるようなことをしていったら、その夢の途中で命がなかったかもしれませんね。難しい。 最後。位の低い地位から、どんどん昇進していってのぼりつめます。当時のお殿様がそれはそれで、河井継之助を登用する目があったということもいえるのでしょう。才覚があっても、世に出て行く術がない人もいるわけですから。というか、そのように昇進していくように振る舞ったことも才覚の一つなのかな。とはいいつつも、全て才覚で済ませることができるわけでもないですよね。この時代に生まれていなければ、長岡でないところに生まれていれば、などなどいろいろと考えます。
こういう人の小説を読む限り、とにかく誠実に、そして、一生懸命生きようとは思います。
【追伸】
この文章を書いてから、ネットで「河井継之助」を見てみると、長岡市民の人は長岡を賊軍におとしめた張本人ということで嫌っている方がいる(むしろ多い)、独りよがり、本当は戦争がしたかっただけではないかなど多方面からの書かれ方がしてあります。
まぁ、いろんな見られ方があると言うことはとてもまっとうなことと思います。それぞれの立場から見たら、全く反対な見られ方をするわけですからね。